調査レポート

  1. 第1回:2010年11月10日
  2. 第2回:2011年1月4日
  3. 第3回:2011年1月22日
  4. 第4回:2011年3月4日
  5. 第5回:2011年3月23日
  6. 第6回:2011年4月9日
  7. 第7回:2011年6月2日

承前(その4)

2010年11月10日の第1回調査、2011年1月4日の第2回調査、2011年1月22日の第3回調査はこちらを参照。

 早くも時は3月となり、しばらく足が遠のいていた太宰府を訪れる機会があった。五条・太宰府両駅のホーム改良工事の終わりも見えてきている――はずなのだが、この1か月間の進捗状況を見る限りにおいて、3月末までに完全に工事が終わるかどうか、素人目にはかなりの突貫工事が必要なように見えている。そして、今回は太宰府駅の有効長が恒久的に6両化されたことがより明らかになった。

 今回の調査は太宰府駅で行った。第1回調査と同様、記事中の各写真はクリックすると原寸大で見ることが出来る。ただし、携帯電話のカメラで撮影したため、画質のほどはご容赦いただきたい。

太宰府駅の工事の様子

調査日:2011/3/4

太宰府駅_1番線終端部  太宰府駅1番線の終端部を見る。前回調査時までは写真奥の線路終端部枕木の奥に建っていた車止め標識が撤去され、20m手前に新たに埋め込まれていた。同時に、旧停止位置目標の位置にあった「非常用」停止位置目標も姿を消している。2000系・8000形用車種別停止位置目標は今も丁寧に覆われたまま残っているが、無意味となることがはっきりした。今後移設されるとも考えにくい。線路左手側に新しいバラストが盛り上げられているが、近いうちに線路終端部に盛って、第1種車止めのようにするための準備であろう。(下記参照)

太宰府駅_2番線終端部  2番線終端部を見ると、今後の計画がより一層はっきりすると思う。こちらも奥の車止め標識が撤去され、新たな標識がコンクリートブロックに差し込まれて仮設のように建っている。奥のほうではバラストを盛る作業が途中まで進められている。線路右手側ホーム下のコンクリートブロックは、バラストを盛る際の擁壁としての役割を果たすようだ。完成時には車止め標識の土台がバラストの中に埋まり、第1種車止め風のものになるのだろう。

 車止め標識の移設、バラストの盛り上げなどにより、太宰府駅の線路終端部20mには一切の列車が入れなくなってしまった。前回のレポートでも述べたように、五条方に余裕はなく、太宰府駅に発着可能な列車編成は、正真正銘6両までとなった。五条までは7両編成が入れるものの、五条で折り返すことに意味はない。かくして、二日市駅の「太宰府線7連進出不可」の標識は半永久的に残る。もしなくなる時があるとすれば、それは天神大牟田線で7両運転の必要がなくなるほどに利用客が減少したとき(あまり想像したくないが)になる。

太宰府駅_2番線旧停止位置目標直下より  2番線(3番乗り場)中央付近から終端部を見る。前回は嵩上げ前の舗装されたホームだったところが、3両弱分仮ホームとなっている。その向かい、4番乗り場には工事用自動車や重機、資材が所狭しと並べられ、ホーム嵩上げの作業が進められていた。ちなみに、前回資材置場になっていた1番乗り場の嵩上げ工事は完了しているようだった。

太宰府駅_4番乗り場ホーム境界  4番乗り場の、嵩上げ工事の末端部。1・4番乗り場の五条方3両分は鉄骨とコンクリート板の組み合わせによって作られたホームである。従来のホーム面に対して、線路側にホーム縁石、その反対側に壁となるコンクリート材を置いているのが判る。1番乗り話の完成状況を見る限りにおいて、縁石と壁の間にコンクリートを流しこんで新たなホーム面を作るようである。2・3番乗り場や1・4番乗り場の終端部側は盛土とアスファルト舗装によるホームのため、旧舗装面を壊した後で土台を盛り上げ、新たに舗装する必要がある。

太宰府駅_五条方より  ホーム端部から線路終端部を見る。1番線停車中の列車は、二日市行普通6156列車(6000形6005編成)。2・3番乗り場の嵩上げ工事はまだまだ進んでいない。また、ホーム屋根は旧停止位置目標に合わせた4両分+αで作られていたため、現状では4両編成の端部が屋根から外れている。屋根工事については緊急性が低いため、しばらくは行われることはなさそうである。